あるHPで読んだ記事の中から。。
例えば私が、この花が綺麗だねー!と言った場合・・
まずは「この花が綺麗である」こと。
これは、花が主体。
だけど、それよりも「私は、この花が綺麗だと思う」
というように、自分を主体に考える事、が大事であると。
この違いは、スゴイなと。
花が綺麗、という事実を確認する、のではなく
私が綺麗と思った、という自分の気持ちを
確かめたい、という認識を持つ。
そう、気持ちが共感できると、楽しいのだ。
同じように見えて、実はかなり違う。
意識してみると、本当に違う。
そして例えば。。
あの人の、ああいう所が嫌、というのではなく
(この場合、あの人が主体)
あの人のああいう所を、私は、嫌に思う
(この場合、自分が主体)
と考えると、解決を人に求めるていらだつよりも、
自分の感情や意識がどうなのか、を考えてみる。
すると不快にならずにすみ、解決策も生まれたり、
自分で方法を考えたり、結果的に状況が好転していく、という。
うーん。今まで、考えたことなかった。
いつも、何か(誰か)のせいにして怒ったり、諦めたり、
悲しんだり、辛かったりしてた事は、その事実よりも
自分がどうしてそう思うか、を考えるべきなのだ。
というか、どうしたいかを考え、したい様に考える。
深いなー。
これはやってみる価値ある。
今、私の心を煩わしている2,3の事を、
自分を主体にして考えてみた。
・・・なるほど、気持ちが変る。
写真は、鶴舞公園をお散歩、じゃなくてウォーキング
(そう、スポーツです)した時のもの。
緑の中に、素朴で健気にさく一厘の花は目に入ると
汗だくで疲れた私の心をからだに、さわやかな風を
感じさせてくれた。
清々しい、朝のひとコマ。
自然っていいね、私も地球の子だもの。
そして、いいねーって感じた私って、ステキ。。。
なんて心でつぶやいた。